今日は「気を付けるべし」一見合理的な人は○○を失う!というテーマでお話していきます。
誰かを出し抜くことで一歩先に出よう。自分の利益が最大になるように行動しよう。
そんな行動をしていませんか?
何を隠そう、私もそんな合理主義者でした。
科学的におかしいと思うことは「こんなの合理的ではない」と言って、全く信じていなかった時間がありました。
また、合理的と考えられる行動を取り、自分がいかにこの世界の中で周りを出し抜いて生き残っていくのかを考えていた時期もありました。
今思えば、とてももったいないことをしていたと思います。
私も陥っていたそんな「一見」合理的な考え方と、なぜその考え方が合理的ではないのかをお伝えします。
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目先の損得を追い求めるという「非合理」
目先の損得で動くと短期的には得をするかもしれません。
でも、本当に困ったときに助けてくれる人はいなくなるのではないでしょうか。
私は本業で海外旅行関連の事業を行っており、コロナの影響でこの事業の売上がほぼ100%減となっています。
そんな状況下で、様々な人のさまざまな本音が見えてきました。
コロナウイルスの影響下で透けて見える本音
そんなときに「今はお金が払えない」とうちへの代金を踏み倒そうとする人や、いくら連絡をしても連絡がつかなくなる人もいます。
今までは「一緒にこの業界盛り上げていきましょう!」と長くに渡って一緒に取り組んできた取引先の中にも、そういう会社があります。
しかし、それに対して「大変だろうからこれ使ってくれよ」とお金やサービスを無償で与えてくれる人もいます。
長く付き合いたいのは「奪う」「与える」どっち?
もちろん、払えないと言っている彼らも売上が0になってしまい大変な状況にあるとは思います。
支払いを延ばしてほしい、という要請もあり、私達としては可能な限り支払いを待つようにしています。
契約し、サービスを受けたものであるから今は払えなくても後で支払います、という会社であれば信用して今後もお付き合いを続けていきたいと思います。しかし、このような状況で連絡が取れなかったり、払わないという宣言をした会社と、今後コロナウイルスが収束したあとに付き合いたいと思うのでしょうか?
また、困っている私達に手を差し伸べてくれた方に対しては、今すぐには無理かもしれないけど、いつか絶対にこの恩をお返ししたい、そう思って生きていくことになるでしょう。
目先の利益よりも長期的な利益を重要視する
困ったときに相手から奪うことで短期的な利益を得ることもできるが、
常に多く相手にあたえることを意識することで、何かあったときに助けてもらえる。
その瞬間、トントンではなく結果的に大きく得をする、と合理的に考えることもできると考えています。
この不安定な時代、死ぬまで順風満帆であるなんでありえなません。
自分が大切にしたいと思う相手といかに協調して生きていくのかを考えて、いざというときに助け合える仲間を増やすことが結果的に大きな利益になるのだなと感じました。
目先の損得を追うことは一見合理的ですが、長期的な利益を失うことになるのです。
ゲーム戦略で考える協調と裏切りの合理性~「囚人のジレンマ」で合理的意思決定を考える~
協調と裏切りの選択肢の中でどうやったら最も得をするのかを考えるときに「囚人のジレンマ」というゲーム理論がよく使われます。
ゲーム理論とは、戦略的な意思決定を数学的に研究する学問で、50年ほどの歴史のある比較的新しい学問です。
「囚人のジレンマ」とは、2人の囚人がこのような条件のもとで、どう供述するかというゲームです。
ルールはかんたん。
1. 2人共黙秘したら、2人とも懲役2年
2. 1人だけ自白したら、自白した者は釈放、もう一人は懲役10年
3. 2人とも自白したら懲役5年。
というものです。
これを何度も何度も繰り返し、最終的に一番刑務所に入った年数が少なかったものが勝ちというゲームです。
このゲームでは、2人の合計刑務期間が最小となるのは、2人が2年ずつ刑務所に入るという2人とも黙秘をした場合です。
囚人の立場では合理的選択が変わる
しかし、囚人の立場になって考えてみると面白いことがわかります。
相手が「黙秘」をした場合:自分が黙秘すれば懲役2年、自白すれば釈放
相手が「自白」した場合:自分が黙秘すれば懲役10年、自白すれば懲役5年
実は、自分の刑期だけを考えると自白したほうが得なのです。
このゲームでは自白することを「裏切り」、黙秘することを「協調」としていますが、裏切ったほうが自分が得するということです。
囚人のジレンマと現実社会の共通点
このようなことは、現実社会でも大いに有り得る状況なのではないでしょうか。
囚人や刑務所という言葉ではなく、隣のお店との価格設定や友人に誰かのことを伝えるかどうかなど身近な問題におきかえることができます。
例えば、ものを売買するときにお金をもらってから偽物を送りつけたり、一度約束したことを反故にしたり、相手を騙したり、
日常社会においても協調と裏切りはたくさんの場面で行われています。
このゲームは各プレイヤーがゲームの繰り返し回数を知らないという「無期限繰り返しゲーム」という形式で行われます、
現実社会における意思決定も終わりがなく何度も繰り返すので、現実社会を反映していると言えるでしょう。
このゲームがいつまで繰り返えされるかわからないとなると、相手を裏切ってばかりだと相手からも裏切られて結果的に懲役5年になってしまいます。
何回も何回もこのゲームが続くとしたら、お互い協調して黙秘をするという選択が良いことに気づいてきそうなものです。
協調と裏切りの合理的戦略
1984年、ミシガン大学教授のロバート・アクセルロッドにより、囚人のジレンマ問題でどのような戦略が強いのか競わせる、コンピュータ選手権が開催されました。
そこで優勝したのが「しっぺ返し戦略」という戦略でした。
第2回大会でもその戦略に対して、より有効だと思う戦略を各分野の専門家が考えてきたのにも関わらず「しっぺ返し戦略」が優勝しているのです。
このしっぺ返し戦略とは、相手に裏切られるまでは協調を続け、裏切られたら裏切りで返す、というものです。
自分は決して先に裏切ることはない。これが、しっぺ返し戦略であり、このゲームにおいては最も個人の利益を最大化できる戦略と言われています。
現実社会において、そのような選択をしている人が周りにもいるのではないでしょうか。
相手に裏切られたら裏切りで返す。
そんな戦略が破られたのは2004年「主人と奴隷」戦略でした。
これは、主人と奴隷という2つのプレイヤーが協力し、主人を勝たせようと奴隷が犠牲になる戦略です。この戦略のもとで、主人が優勝し、その仲間であった奴隷が最下位に終わるという結果が出ました。
誰かが犠牲として動いてくれるのであれば、最も利益を得ることができる戦略が存在するということがわかりました。
これも、現実社会では実際に起きているシチュエーションのように思えます。
ゲーム理論において実際に自分の利益が最大化している戦略が現実社会においても最も合理的だ・・・そう考えるのは、まだ早いです。
なぜ合理的なゲーム理論では損をするのか
ここまでは囚人のジレンマというゲームの話でしたが、現実社会に置き換えてみるとどうでしょうか?
普段は温厚で人と協調していますが、何らかの裏切りや誤解をきっかけに豹変して裏切りを始めるしっぺ返し戦略をしている人や、
自分の仲間を犠牲にすることによって大きな利益を得るもの。
そう考えると、このような戦略のもとで行動している人は意外と周りにいるのではないかと思います。
現実社会にあってゲーム理論にない○○と○○
ここまで聞くと、「やっぱりしっぺ返し戦略や主人と奴隷戦略」がこの世界で生き抜くためには有効なんだ・・・
という「一見」合理的な考えが導かれるかもしれません。
実際にビジネス書の中ではこのような戦略を推奨している本もあります。
しかし、ここで終わってしまうと「一見」合理的な選択をして損をしているという状態になってしまうのです。
なぜなら、私達の社会で大きな役割を果たしている「信用」と「信頼」を考慮していないからです。
信用は、過去の行動から生まれるものです。過去の言動や行動から、信用が生まれます。そして、その信用や、思い描いている未来やそれに伴う実行力をもとに、この人は未来もこのような行動をするのだろうという信頼が生まれます。
あの人はしっぺ返し戦略をしている・・・そんな評判が立っている人と一緒に協力していきたいと心から思えますか?
現実社会では誤解や勘違いで「裏切られた」と思うこともよくあることです。
そんな中で、もししっぺ返し戦略をしている人に誤解されたら・・・もう一緒にやっていけなくなってしまいますよね。
常に相手に対して協力を惜しまない人。裏切られても、協力を惜しまない人。
そんな人がいれば一緒に協力をして進んでいこうと思えるのではないでしょうか。
しかも、このゲームは最初に申し上げましたとおり、お互いが協力をすることが最も双方が利益を得ることができるようになっています。
自分だけの利益を考えると、奴隷に黙秘させ、自分は自白することでずっと釈放されるという戦略も考えられるのですが、そのような生き方をしている人と一緒に何かを進めていきたいという人はどれだけいるでしょうか?自分も奴隷にされてしまう、と考えるのが自然なのではないでしょうか。
枠や境界の外側に目を向けると「合理的選択」は変わる
囚人のジレンマというゲームでは「協調」か「裏切り」かを選択することを限られたプレイヤーつまり、限られた世界の中で繰り返すことで協調と裏切りに関する戦略を扱ったものであり、研究としてはとても興味深いのは間違いありません。
しかし、現実社会ではその世界の外側にたくさんの人の目があり、そのゲームに参加していない者からの信用や信頼というこのゲームでは考慮されていないパラメータもあるのです。
誰かを騙してうまく利益を得た人、という評判が一度立ってしまえば、一度は利益を手にすることができてもその後は誰も取引をしたくなるのではないでしょうか。
ゲーム理論を競争戦略に活用することはとても有効なのですが、人生の戦略として活用するには今まで申し上げたように「一見」合理的ではあるが、実は損をしているということです。
まとめ
お金は奪うだけでは社会全体の富は増えずに、回していくことで増えていくというのは経済学の基本的な概念です。
これはお金だけではなく、感謝も回すことで増えていくのではないでしょうか。
「部分最適」や「短期的利益」を追い求めるのはもったいない
部分最適、短期的利益のを考えるのはもったいないことです。
私は、これに気づくまでに何年もかかってしまいました。
これは極論ですが、「来世以降に返してもらえれば良い」と本当に思えるとどんどん「ギブ」の循環が始まります。
循環が始まるからこそ、この感謝や温かい気持ちは増えていき、自分に返ってきます。
本当の協力関係を築ける仲間も増えていきます。そして、協力関係が増えれば増えるほど、結果的に利益もついてきます。
あげるより、もらうほうが多いほうがいい。
そう考えるのは一見合理的です。「私はこんなにGIVEしてるのに」と思ってしまうこともあるでしょう。
私自身もそう思って人に多くを渡さずに自分が多くを得ようと思っていた時期もありました。
今は「なぜオレはあんなムダな時間を・・・」と思っています。
枠を広げて考えてみる癖をつけよう
ゲーム理論では信用や信頼という要素がなかったがゆえに現実世界とは違う結果が出ています。
限られた枠の中での合理性は、枠を広げてみると非合理だということがたくさんあります。
短期的な利益という枠を外して、長期的な利益を考えれば相手から奪いのではなく与えるのが自分のためになる、私はそう思っています。
「合理的に考えればこっちが得だ」と思うことがあれば、この話を思い出してみてください。
お金も、いつ回って返ってくるかはわかりません。感謝の気持ちや信用も同じです。