これからはAIが人間の仕事を奪う、という論調をいろいろなところで見かける今日このごろ。
それを脅威と捉えるものも、機会と捉える動きもありますが、ただひとつ言えることはこの動きは誰に求められないし、逃げられないということ。
AIと共存する世界で、我々人間にできることとは何なのか、を考えてみました。
産業革命のときも人間の仕事は機械に奪われた
AI化の進展を産業革命のときと同じという論調もあります。
産業革命では、多くの人間がやっていた仕事がなくなりました。
産業革命ではたしかに人間の仕事は機械によって奪われましたが、それとともに人間の生活は向上しました。
だいぶすっ飛ばしてお話しますが、産業革命後に生産性が飛躍的に向上し、週休2日制が導入されたのです。
トラクターは農業を効率化し、産業機械は工場を効率化し、電車や車は物流を効率化しました。
今更昔の時代に戻りたいという人はいないでしょう。
AI革命も、同じように人間にとって良い革命のはずです。というか、良い革命にしていく必要があるのです。
科学によって明らかになった「人間」
現代の科学では人間そのものを明らかにしようという動きが進んでいます。
これはもちろん医療のためだったり、コンピューターの発展のためだったり、もちろんこの世界を良くするために使える技術です。
人間を「心(脳)」と「体」にわけた場合、体の研究のほうが進んでいます。
DNAの配列も読めるようになり、人工心臓も、人工肺も実用化されています。
万能細胞の研究も進み、人間の体の機能をそのまま作り上げることもできるようになる日も遠くはなさそうです。
もちろん、これは障碍者や高齢者の失われた機能をサポートしたり、機能低下した臓器を取り替えたり、寿命を伸ばしたりと、とても素晴らしい活用方法があります。
クローン技術も倫理上の問題はありますが、技術はどんどん発展していっています。
そう、人間の「体」は遠くない将来「製造」できるようになるのです。
では、心はどうでしょうか。
実はこちらの研究はまだまだ遅れており、人間の脳と同等のコンピューターはまだ出来ていません。
囲碁、チェスなどの特定分野で活躍するコンピュータは人間を凌ぎましたが、それは人間がプログラムを書いて、過去のたくさんの事例をインプットしたことにより、たくさんの事例と先を読む力を人間よりも多く、早くできるようになったということなのです。
今の時代、電卓が人間よりも計算が早いのは当たり前ですよね、乱暴に言ってしまえばそれの延長線上なのです。
ディープラーニング(深層学習)など、より人間の脳の動きに近づけようと日々研究が進んでおり、数十年後には脳と同じ働きをするコンピューターが実用化されるかもしれません。
クリエイティブな仕事は人間にしか出来ない?
クリエイティブな仕事は人間にしか出来ないから、クリエイティブな仕事をしよう、という記述もよく見かけますが、人間にしか出来ないクリエイティブな仕事って何なのでしょうか?
最近は新聞の記事をAIが書いたというニュースが話題になりました。様々な出来事をまとめるのはコンピューターが得意とすることですし、文章も過去の文章を沢山インプットさせることで同じような文章がかけるようになります。
デザインや、作曲などの分野も「人間にとって心地よいデザイン」「人間にとって心地よいメロディー」というものは一定のパターンがあり、それをしっかりと学習させればコンピューターが十分行うことが出来ます。
会計士、税理士、弁護士、行政書士などの仕事もある程度コンピューターができるようになるでしょう。
いまのAIは過去の事例をインプットしてアウトプットを作り上げるので、前例のない物を作り上げるものや、アートの領域となると、コンピューターにはまだまだ出来ないかもしれません。
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と考えていくと、人間にしか出来ないことってほとんど無いように思えてきませんか?
人間にしか出来ないことは「目的」を作ること
コンピューターは、一定のルールに基づいて物事を処理することはものすごく得意です。
先ほど例に上げた○○士などの仕事は法律や税法に基づいて物事を処理していくものであり、コンピューターが得意とする領域です。
感情論を横においておくとすると、裁判官も全てコンピューターに任せたほうが、法律の解釈の間違えもなく、前例と照らし合わせて最も合理的な判決を導けるでしょう。
しかし、そのコンピューターを作るのは人間であり、動く目的を作るのは人間なのです。
例えば自動運転車が何があっても事故を起こさないくらいうまい運転ができるようになったとしましょう。
その自動運転車を、悪いプログラマーが「人を殺すためのテロリズム」に使おうという人がいたとして、街中の自動運転車がハッキングされて、人に向かって走ってくるようになったら・・・。
考えるだけで恐ろしい世界ですが、絶対にありえないとは言えません。
しかし、この場合本当に恐ろしいのは、自動運転車ではなく、その車に「意思」をプログラミングした人間が恐ろしいのです。
もちろん、事故が起こらないように、安全に運転するようにという「意思」を吹き込むのも人間です。
裁判官、弁護士、税理士がコンピューターになったとしても、そのコンピューターが従う法律を作るのは人間です。
人間のような体、そして、脳は間違いなく実用化されていきます。
私達が生きているうちにそれを目撃することも夢ではないでしょう。
その新しいこの世界の仲間に、どんな目的をもたせることで、より良い世界を作っていくか。
もっと言えば「どんな世界を作っていくのか」を考えること。
これこそが究極のクリエイティブであり、これからの時代に人間が取り組むべきことなのではないでしょうか。