個人的に激動だった2020年の出来事と考えていたことを振り返る

2020年は本当にいろいろな変化がありました。
今年も何も変わらずにベトナムに住み続けている予定でした。

それが一転、日本での生活に急変したわけです。
去年の年明けに、今の状況は全く予想していませんでした。

この急激な変化の中で過ごしていると、何があって、どう感じたのかをつい忘れてしまいそうになります。
ということで一年を締めくくるこの機会に今年を振り返っておこうと思います。

2020年1月:数年ぶりに休暇を取ることを決めてベトナムから出発

ベトナム中部の街、ダナンで2020年を迎えました。
インターン生や会社の仲間達と一緒年越しの花火を見ながらの年越しという、例年通りのパターン。

今までベトナムで積み重ねてきたものを今年一年かけて花開かせよう、そう意気込んだのを覚えています。
ベトナムで観光フリーペーパーを発行していたのですが、2月号を1月中旬までに校了するスケジュールなため必死に紙面を制作していました。

2016年から始めたフリーペーパー事業でしたが、取引先も広告数も少しずつ右肩上がりになっていました。
ダナンを訪れる日本人観光客は急増しており、今後数年間は観光事業に全力投球!
今まで耐え忍んでいたものがやっと花開いていく、そんな状況でした。

昨年7月に借りたばかりの新しくて大きなオフィスも快適で、次の夏には更に売上が増えて、会社の収益も安定してくる、そんな夢を抱いていましたね。

ただ、その反面ずっと働き続けていた精神的な疲労があったのと、なんだかずっと同じ環境、コンフォータブルゾーンから一歩も出てないなと思って、忙しいのが終わってからしばらくヨーロッパでリモートワークしようと思って旧正月に日本経由でヨーロッパに飛びました。
ここ数年休み無しでずっと来ていたから、そろそろガッツリ休もう。事業も軌道に乗ってきたから、今なら休める、というのが率直な感想。

せっかくなので世界が変わるところを見たい、と1月末はロンドンで過ごし、EU離脱の瞬間に立ち会ってきました。

いやーマイルが大量にあってよかった瞬間ですね。
行きたいと思ったときにすぐにどこでも飛べる。最高。

2月は海外ノマドを楽しみながら執筆に勤しむ

2月は久しぶりに訪れた先進国はとても刺激的だったので、ロンドンのAirbnbに住んでカフェで仕事をしていました。

新しく刊行するベトナムのガイドブックのホイアン・フエ・ダナンエリアの撮影と執筆を担当させていたので、執筆したりデータを纏める毎日。
2月末には無事に発売されて、ベトナムに帰って手に取るのを楽しみにしていました。
↓写真が沢山で見るだけで行った気分になれるガイドブックなので、是非読んでみてもらえると嬉しいです。

ベトナムは2月の頭から学校が休校となっており、社員が自宅勤務を希望したので2月の頭から今に至るまでずっとリモートワーク体制としました。
リモートワークなら世界のどこから仕事してもいいかな、と思ってもう少しベトナムに変えるのは遅くてもいいかな、1ヶ月も旅をしながら働ける機会なんてなかなかないし、と滞在を延長することにしました。
もともとマイルで飛行機を取ればいいと考えていたので、帰りのチケット持っていなかったわけですが。笑

その時はまさかこんなに影響が長引くなんて、一ミリも思わずに、というか、ヨーロッパにコロナが来るなんて誰も予想してなかったのではないでしょうか。
フランスなどで日本人のお店が「コロナは出ていけ」などと落書きされたりとアジア人差別がニュースになっている時期でした。
横浜港の船でコロナウイルスが大変なことになっているらしい、と現地の日本人と話題にしていました。

アジアではコロナウイルスが流行っているらしいからもうしばらくヨーロッパ滞在を延長しようかな、仕事はリモートでもできるし、なんて考えていました。
Airbnbは安いし、スーパーで買物をすれば意外と安いし、ロンドン滞在も慣れてきてイギリス国内を夜行バスで色々と移動したり、ポルトガルに行ったりしながらカフェなどで仕事をしていました。
たまには海外ノマドもいいものです。ずっとだと、私の場合疲れますけど。

それとともに、個人的に海外の投資や香港の保険についてひたすら勉強していました。
実は2014年頃からいろいろな投資に手を出していて、その中で海外の保険って面白いなと思ったのですよね。
5年くらいかけてたくさんの投資に手を出して、いくつかは文字通りお金が消えていきました。
最初は投資なんて全くわからずに、今思えば「それは怪しいだろ!」とすぐに言えるような話もとりあえず聞きに行くなど、儲け話というものをたくさん目にしてきていたのです。
その中で「これは正しい情報をみんなが知れるようにならないと、搾取される人が多い。それでいて、まともな商品も多いので、それは多くの人に知ってほしい」と思ったので、質問もらえればだいたい応えられるようになりたかったのです。
(ちなみに怪しい人ほど「怪しくなさそう」に振る舞うプロなので、マジで何も知らないと一瞬で信じちゃうから怖いです。。)

保険についてはこのブログにも以前書いたので、もし興味あれば見てみてください。
というか、記事読むよりも呼び出して聞いてもらえればZOOMでどこへでも顔だします。

ちょうど英語圏にいたこともあって、英語のドキュメントもいつもよりも抵抗なく読めて執筆が進んだ気がします、きっと気のせいですが。笑

投資や、家計相談を受けるようになったのもこの頃から。
オンラインFPとしての活動が始まりました。

3月中旬に急遽日本に一時帰国

そうだ、一通り執筆が終わったらいつか行きたいと思っていたスペインの巡礼にこの機会にちょっとだけ行こうかな、なんて考えていた3月の初め、コロナがスペインとイタリアに広がり始めました。

スペインの巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行こうとポルトガルに移動してきてたのですが、ヨーロッパでの感染者数が増え始めているのを見て
こりゃまずい!!
と思い、急遽アジアに向けて出発。
出発しよう、と思った頃にはカフェの店員さんがなにか張り紙をしていて、「何かあったんですか?」と聞くと「しばらく休業することになる」という答え。
その2~3週間後にはロックダウンが行われていました。

この頃はまだ普通にラウンジを楽しむなど、普通の空港の姿でした。

ベトナムがヨーロッパからの入国を制限しているという噂があったので、行き慣れた場所で、かつ入国制限がないタイのバンコクに飛びました。
トルコ航空の搭乗口では「スペイン行ったか?」と全員に聞き、行った人はゲートで搭乗拒否するという対応になっていて、これは本当にギリギリ脱出だったかもしれない、、、と思いました。
インタンブールのトルコ航空ラウンジで美味しいトルコ料理をたくさん頂いたりと、まだこのときもこんな事態になるなんて思ってなかった記憶があります。
今はもちろん耐えなければいけない時期だけれども、あと3ヶ月くらいで元の世界に戻るだろう、そう思っていました。

それにしても、イスタンブールのトルコ料理ラウンジはその場でシェフが創ってくれる食事がたくさんあって本当に美味しかった。
近いうちにトルコ料理を楽しみにトルコに行こう、と決めました。いつ行けることやら。。

バンコクについてしばらくベトナムの入国状況をフォローしながら滞在していたのですがついにベトナムが全世界からの完全鎖国を決定。
その直後に「これは一回日本に行くのがいいかな」と日本行きを決めて、ノックスクートで成田へ。

「相変わらず大型機のLCCはチェックインカウンターが長蛇の列だな」とか「ミラクルラウンジの食事は相変わらずあまり美味しくないな。笑」とか思いながらいつものようにドンムアン空港から出発。またすぐに戻ってこれるようになると信じて。
その時、バンコク・ドンムアン空港の出発案内は7割位が欠航。
これもまた、もう少し判断が遅かったらタイから出れなくなっていたかもしれません。

その後ノックスクートは3月26日のツイートを最後に更新停止、運行も停止、そして6月には倒産しました。
最後の力を振り絞って日本に連れて行ってくれてありがとうございました。

https://twitter.com/NokScootJP/status/1242994681270505472

そして3月に日本に一時帰国、そう、一時帰国でコロナが落ち着いたらすぐに戻ろうと思っていました。

4月 まだベトナムに戻る夢を見ていた

4月の始め、私の正直な感想はこんな感じでした。

「夏前にはコロナが落ち着いて戻れるのかな、落ち着けば夏休みにはまたたくさんの日本人がダナンを訪れるようになるだろうからフリーペーパーの8月号に向けて考えていこう!」

一時的な滞在だから日本で仕事も探しませんでしたし、家も探しませんでした。
ちょっと探してみた限りでは日本で数ヶ月だけ滞在できる家がかなり高いものしかなくて、普通の賃貸も1年住まないと違約金がかかったりするようなので、
「国境が空いたらすぐにベトナムに帰ろう」
と思っていた私が借りられる物件は見つかりそうもなく、電話した不動産会社の全てから断られてしまいました。

とりあえずジモティーで原付を買い生活の足にしつつ、自分の部屋がない実家にいるのも辛いのでウーバーイーツに登録して配達していました。
バイクを運転していてお金がもらえるなんて最高、10年前の大学生の頃ピザ屋でバイトしていたときと同じ感想を抱きながら・・・。笑

ウーバーイーツではとても面白い発見がたくさんありました。
コロナの影響で売上が爆増している飲食店、オペレーションが追いついていないお店、タワーマンションの管理室の対応、私のダナンのオフィスよりも広い六本木ヒルズのロビー、ウーバーイーツ配達員の謎な人々、、、いつもと違う景色を見ると、いつもと違うことをたくさん考えるのでとても楽しかったです。
とりあえず1週間フルに頑張れば10万円くらいは稼げることがわかったので、「お金なくなっても困ることはないな」と実感できたので2週間でウーバーイーツは終了。

↓ウーバーイーツでの学びを名古屋のホテルで撮影したのがこちら

起業してからというもの、いつ売上がゼロになってもおかしくないとは思っていたので「ベトナムで無職になっても困らないようにしておこう」と思っていました。
お金をおいておくのはもったいない!という投資の考え方から、余裕資金は生まれた瞬間に香港やロンドンに預け入れていて流動性資産は最低限にしていたんですよね。
しかし、物価の高い日本で売上がゼロになる想定はしてなかったので、ちょっと焦ったんですよね。
ウーバーイーツをやりながら慎ましく生活してみて、何も生活に困らないことを実体験として知ることができて一気に安心しました。

5~6月 緊急事態宣言下のAirbnb暮らし

4月下旬くらいから緊急事態宣言が出て、私の仕事場だったスタバやドトールが軒並み閉店してしまったのを見て「これはそろそろ家を借りないとまずいかもしれない」と思ったんですよね。
とりあえず新宿のある方面で有名なマンションのワンルームをAirbnbで借りて住んでみたものの、机が小さいのと椅子がとても簡易なものだったのでデスクワークが2時間で限界・・・これはだめだ、と思ってAirbnbで検索範囲を「日本全域」にして、ある程度大きな机がある物件を探しました。

その結果、一番安かったのが大阪の難波周辺だったので、5月~6月の2ヶ月間とりあえずの滞在場所として難波のAirbnbを借りました。
この頃はまだ国境が開いたらベトナムに戻るから、とりあえず2ヶ月借りておこうか、くらいの感覚でした。
※その後ジモティーなどでは民泊からの家具一式販売が相次いでいたので、私がお借りしたAirbnbももう無いかもしれないですね。

大阪は外国人観光客向けの民泊が物凄く多かったので値崩れしていたんですよね。
私が借りたところも調べてみると家賃よりも安く、光熱費込みで滞在させていただきました。
きっと運営の方も数カ月後には需要が戻ってくると、その時点では思っていたのだと思います。

アジアではコロナの抑え込みができている国が出てきており、日本も緊急事態宣言が解除され、コロナは減ってきたんじゃないか、そんな雰囲気があったようにも思います。

結局今年の半分くらいを大阪で過ごしていたのですが、実は大阪は数えるほどしか行ったことがなかった場所。
東京と同じようなところだと勝手に思っていたわけですが、いい意味で全然違いました。
住んでみてわかった、大阪最高。

私自身びっくりしたのが、ベトナムや海外で知り合った人、そしてそのつながりが尽く西日本だったということ。
緊急事態宣言が解除されてからは大阪周辺で様々な方とお会いすることができました。

名前だけは知っていた「スーパー玉出」に行って、激安のお惣菜や野菜を買ったら翌日には悪くなっているという洗礼?も受けて楽しく大阪生活を楽しみました。
何も考えずに安いからという理由だけで大阪に移動してきたのですが、本当に来てよかった。

ベトナムではフリーペーパー2月号の広告費の回収が全く進んでおらず、取引先(観光客向け事業)もどんどん消えていく状況に心を傷ませながらも、
決めないといけないことが託さなり、ベトナムと書類のやり取りをしたりしていました。
特に賃貸契約の中断を直前で決めて5月末で大きなオフィスを退去し、倉庫に荷物を移動。
今思えば早く決断してよかった、となるのですが、すぐに荷物を取りにいけると思ったというのと、圧倒的人員不足によりスピード重視で何も整理せずに箱に突っ込み、今ではどこに何があるのか誰もわからなくなってしまいました。

そんなこんなでベトナムに帰る目処も立たぬまま、フリーランスとしていくつかの仕事をしていて6月も終わりました。
ライティングのお仕事を頂いたり、オンラインでお話する機会を頂いたりと、日本での毎日が充実してきました。

まだ、この時は、年内にはベトナムに帰れるだろう、年末年始や遅くともゴールデンウィークには、観光客がダナンに戻ってくるだろう・・・という期待を抱いていました。
緊急事態宣言のあと、感染数がかなり少なく落ち着いてきていました。今思えば、第1波が終わったところですね。
仕事も一時的なプロジェクトのものやリモートで行えるものだけをやらせていただいていました。

激動の2020年上半期を過ごしてみて

こうして振り返ると、2月下旬から5月までは1週間先すら想定できていなかった状態でずっと進んでいました。
こんなに変化に富んだ年はなかなか無いのではないでしょうか。
そしてその後は日本で暮らすんだなというふうに考えが変わってきて、今に至ります。

そんな変化で、たくさん失ったものもあればつらい経験もありましたが、総じて楽しく受け入れてきたように思います。
むしろ、ベトナムにいるという既定路線が急になくなり自由になった今、何を始めようかとワクワクしているという気持ちすらあります。
もちろんベトナムでの事業が完全に止まって再開の目処も立たないのはとても残念ではありますが、そこに目を向けていても仕方がないですよね。

その後日本で生活していくことを決めてからどうしていこうと考えているのか・・・
についてはまた改めて記事にできればと思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事を読んでくださったあなたも、変化はチャンス、そう振り返られるように前を向いて進んでいきたいですね。
それでは、良いお年をお迎えください!

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